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終戦記念日 2004年08月15日(日)

  朝起きて読売新聞の編集手帳を読んだ。
思わず涙を流してしまった。

以下読売新聞 編集手帳

永井荷風は日記に書いている。「上野動物園の猛獣はこのほど毒殺せられたり。帝都修羅の巷(ちまた)となるべきことを予期せしがためなり…」。一九四三年(昭和十八年)九月九日である◆飼育課長などを務めて上野動物園の歴史に詳しい小森厚さんによれば、東京都が猛獣の処分を命じたのは八月十六日のことで、翌日には早くもクマ二頭が毒殺されている(丸善「もう一つの上野動物園史」)◆三頭のゾウは敏感で毒の入った餌を食べない。水と餌を絶つ餓死の処置が取られた。最後のゾウが死んだのは絶食から三十日目、九月下旬のことである。衰えた体でゾウは、教えられた芸のしぐさをして餌をねだったという◆処分された動物は、ライオン、ヒョウ、トラ、チーター、ニシキヘビなど計二十七匹に及ぶ。動物園には市民から哀悼の便りが数多く寄せられた。小森さんはそのなかから鎮魂の一句を書き留めている。「来(きた)る世は人に生まれよ秋の風」◆きのう、園内を歩いた。真夏日の記録がつづく炎暑の日を浴びて、二頭のゾウが池に巨体を沈め、水しぶきを上げていた。「涼しそうだね」。肩車のお父さんが頭上の小さな女の子に語っていた◆平和の二文字をかみしめる八月十五日である。「人に生まれよ」と告げられた猛獣たちが、生まれ来て失望する人の世にしてはなるまい
 



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